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癒し

思いやりの心

贈り物

今日はとても嬉しいことがありました。
機内でちょっとした出来事があり、お客様とお話する機会がありました。私にとっても楽しいひとときだったのですが、お見送りの際に「あなたのおかげで、とても楽しい時間が過ごせました。ありがとう」と言ってくださいました。

その一言に、とても救われた私でございます。

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小さなことに忠実でありなさい。
思いやりの心をこめましょう。

なぜなら、
その中に私たちの力があるのですから。

私たちは、多くを与えることは
できないかもしれません。

けれど、いつも
神と共にいる愛にわきあがる喜びを
与えることができるのです。

(マザー・テレサ)
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本当に小さな行いの中にこそ、たくさんの愛があるのかもしれません。
お客様にとっては旅の交通手段でしかないかもしれません。わずかな時間の中で私たちが出来ることは限られています。

しかし、お客様の今日の一言で私は与えることの喜びを教えていただきました。見返りとか、認められるとか、そういうことは関係なく、心からのおもてなしが出来たときには、それは私の喜びとなって返ってくるのですね。「ありがとう」という言葉の素敵な響き、忘れられない思い出となりました。感謝の気持ちであふれる一日でした。

私も心をこめて「ありがとう」と言える人になりたいと思います。

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悲しい出来事

買い物ついでに散歩をしてきました。
ちょっと大きな公園があるのですが、幼稚園帰りと思われるママさんたちが集まって話し込んでいました。
子供たちは勝手に遊んでいる状態。

その中の一人の女の子が「ママ~ママ~」と呼んでいました。
気がつかないのか無視しているのか…

「ママ~ママ~」と女の子はずっと呼び続けていました。
するとお母さんと思われる人が女の子の方に歩いていき、頭をバシッと平手打ち。

「ママ、ママってうるさい!!ママって呼ぶな!!」と。

悲しそうな女の子の顔を直視できませんでした。
私自身が女の子になってしまったような感覚が残りました。
悲しくて淋しくて涙が出てきてしまい、家に帰っても暗い気持ちになってしまいました。

どうしてママと呼んではいけないのでしょう。

大切な話をしていたのかもしれません。お母さんにとっては貴重な息抜きの時間だったのかもしれません。でも、ひとことでいいから「はい」と返事をして「なに?」と聞いて欲しいです。

どうして私がこんなに悲しい気持ちになってしまうのでしょう。
女の子の感情が私に乗り移ってしまうような感覚でした。

悲しいです。さみしいです。

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折鶴

自分の家庭の外で人々にほほえむことは
たやすいことです。

あまりよく知らない人をお世話することは、
実はとても易しいことなのです。

あなたの家の中で毎日会っている家族を、
思いやりをもって、優しく、ほほえみを忘れずに
愛し続けることはとても難しいことです。

特に疲れていたり、イライラしていたり、
機嫌が悪かったりする時はなおさらです。

だれにでもそんな時があります。
そんな時こそ、苦しむ姿のうちに救い主が
私たちのところに来ておられるのです。

(マザー・テレサ)
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女の子のことが頭から離れず、涙が止まらなくなりました。

今夜は眠りにつく前に、ママと一緒に幸せな時間を過ごせていますように…ママの愛に包まれていますように。

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辛い時は…

辛いことばかりが続きます。
こんなときは、どうしたらいいのでしょうか?

励ましてくれる方々に申し訳ないくらいに笑顔がでません。
前向きな言葉が私に重くのしかかります。
なんだか何をやっても、うまく回らない感じです。

「がんばって!」

もうがんばれないよ…

「大丈夫だよ!」

そんな風に思えない…

「なにかできることがあったら何でも言って!」

誰かに助けてもらえるなら助けて欲しい。

自分が自分を苦しめていることは、よくわかっています。
自分の気持ち次第で毎日を幸せに過ごせることはわかっているけれど、切り替えることは簡単ではありません。

どれだけの涙を流したでしょう。
脱水症状になるくらい。

もしできることなら…

すべてをリセットしてしまいたい。
私の人生すべてを。

こんなときは、どんな小さな失敗も
リセットしてしまいたい衝動につながってしまいます。

消えてしまいたい。

そんな風に考えてしまう私は、どこか壊れているのでしょうか。